第九卷スパスポの変遷。yzf1000rからyzf-r1へ。

yzf1000rに試乗する根本氏(1998年)

第九卷スパスポの変遷。yzf1000rからyzf-r1へ。

歴代のスポバク開発でヤマハがこだわり続けるラの感性に馴染みやすいハンドリング。1996年のフラッグシップyzf1000rはその象徴的な存在である。ライバルをCBR900RRとしながらも,開発の狙いをライダーが安心してワインディングを楽しめるハンドリングとしたからだ。しかし,刺激の少ない乗り味から,デビュ,当事は過小評価を受けたといわざるをいない。結果としては長寿モデルとなり,その素性の良さはハイスピードツアラーとして正当に評価され,世界中で愛されることとなった。
1998年そしてそれまでの努力と技術の蓄積が世界中を揺るがす衝撃のニューモデル,YZF-R1のデビューという形となって花開いた。軽量,ハイパワー,コンパクトというヤマハらしさに溢れ,スポーツライダーたちが実際に楽しむシチェーションで最高のパフォーマンスを発揮し,心の底からコーナリングを楽しめる上質なスポーツバイクをつくりあげたのだ。

(以下,本文は1998年のラダスクラブ誌の記事に加筆修正した)

寄稿者プロフィ,ル


根本健

1948年年,東京生まれ。慶應義塾大学文学部中退。
16歳でバイクに乗り始め,“73年750 cc全日本チャンピオン,“75年から78年まで世界グランプリに挑戦。。
現在もラ。

ヤマハのハンドリングコンセプトそのままを開発yzf1000rサンダ,エ,ス

50年代後半にスポーツバイクの開発を初めて以来,一貫してライダーの感性に馴染みやすいハンドリングの追求にこだわり続けてきたヤマハ。その常に変わらない姿勢に,いつのまにかライダーの間に”ハンドリングのヤマハ”というイメージが定着してきたわけだ。その間,ラ。しかし,そこでもヤマハ流ハンドリングのコンセプトが揺るがなかったのは,開発スタッフがいつもユーザー側に立った考え方で方向を定めてきたからだ。
それをよく象徴しているのが1996年のフラッグシップyzf1000rだろう。リッタスパスポは各メカがコンセプトの違いを明確に打出した時代である。ホンダはCBR900RRで,超軽量な車体でクイックなリーンが可能という,ビッグバイクでは考えられなかったコンセプトで人々を驚かせたのだ。“YZF1000Rを開発する段階で,そのハンドリングでユーザーに衝撃を与えたCBR900RRがよく売れていた。実際に良いバ@ @クですネ。あの操安(操縦安定性)の軽さには我々もショックをうけましたから”。当時の実車のテストチームを担当した第2プロジェクト開発室・実験担当・技員の猪崎次郎氏が,ライバルがどうあれヤマハ流コンセプトにまとめていく過程を詳しく説明してくれた。

Yzf1000rテストコ,ス走行風景(1996年) Yzf1000rテストコ,ス走行風景(1996年)

Yzf1000rテストコ,ス走行風景(1996年)

マーケットでリードしているバイクに対し,ヤマハも同じ路線でいくのかどうなのか,ずいぶんと論議を重ねたという。実験のチムにもcbr900rrにすっかり魅了されたラダもいたのだ。しかし,実験チ,ムの感性ではスパルタン過ぎるというのが結論だった。軽快さは軽量なだけでは得られない。“マーケットも認めているし,スーパースポーツの面白さをここまで表面に押し出したホンダの割りきりのよさには敬服しました。しかし,我々がいつも論議を重ねるユーザーが実際にツーリングなどで使うとき,何が大切かを決める線引きのようなものがあって,そこに照らし合せるとヤマハとしてはこのスパルタンさはどうしても許容できない”“ただCBR900RRの軽さ,実際の車重はもちろん走っても軽いという,これはヤマハとしても強調しようということになりました”。
750年“先行開発での車体に1000 ccのエンジンを積んでテストしていたのですが,エンジンそのものの重量では750と1000ではそう大きく違わないのに,走った感じだとなぜこんなに重いのかというほど1000のエンジンを積むと変わってしまう。パラ4(並列4気筒)のクランクは重いんですよネ。軽快さは車輌重量だけじゃない。ましてやハンドリングの質となると重量以外のファクタ,の方が大きく支配する”。

猪崎次郎氏(インタビュー当時:第2プロジェクト開発室・実験担当・技員) 猪崎次郎氏(インタビュー当時:第2プロジェクト開発室・実験担当・技員)

猪崎次郎氏
(aapl .ンタビュ.当時:第2プロジェクト開発室·実験担当·技員)

Yzf1000r雷王牌(1996年発売) Yzf1000r雷王牌(1996年発売)

Yzf1000r雷王牌(1996年発売)
徹底的な軽量化により,従来のヤマハ1000ccス,パ,スポ,の中では軽快な運動性を実現した。セカンダリーロードでの早さ,そして楽しさが追求されたハンドリングは,レーシングマシン的なクイックな特性ではなく,ライダーが緊張感を強いられないというヤマハならではの設定。エンジンはfzr1000をベ,スに軽量鍛造ピストンを採用するなど各部を刷新。最高出力145ps/ 10000转,最大トルク11kgfm/ 8500转を発揮する。高い剛性と軽量化を果たした一体成形式fブレキキャリパは,扱い易さ及び対フェド性に優れる

それはエンジンのパワ,やトルクの特性でも,ラ,ダ,の感じ方に大きな影響を及ぼすのだ。もちろん車体の剛性やホイールベース,アライメントに重心位置,それにタイヤサイズなど細かな設定にも重く感じるか軽く感じるかの違いがでる。たとえば車体剛性でいえば,剛性が強すぎると操作感で重い感じになるしサスペンションもハードに過ぎると同じように重く感じるのである。要は強すぎても弱すぎてもダメというバランスが大事なのだが,ここをヤマハは伝統的にライダーである人間の感性に馴染みやすいものとしてきたわけだ。
“実験チームのライダーは,トレールフィーリングとか接地感とか,誰もが感覚的なところでタイヤと路面の関係を言い表わします。その評価でもキックバックに過敏すぎるということになった。プロがサ,キットを攻めているときならば情報量が多いということもできる。しかし一般のラ@ @ダ@ @にはそういう伝わり方にはならないと思うんです”。この発想がいかにもヤマハらしいところだ。“ヨ、ロッパはアウトバ、ンだけでなく、我が国からすれば羨ましいほど楽しめるワ、ンディングが多い。我々はこれを高速道路に対してセカンダリ,ロ,ドと呼んできた。fzr1000からはこのセカンダリ,ロ,ドを重視し,yzf1000rではさらにここにこだわった。cbrとの差別化も,結局どこを走って楽しいと思えるか,そこを明確にする必要があるというわけです”。

“ビッグバイクとしてはスピードの低い,カーブもきつい場面を大事にしようと……具体的にはワインディングの2 ~ 3速,車速にして100 km / h近辺です”。ここで思う存分ラ▪▪ディングを楽しめるバ▪▪クにしたい。ハンドリングの質を,コーナリングを楽しめる軽快なものにしつつ,だからといって唐突な動きとならないよう刺激の少ない馴染みやすく安心感のある方向を狙ったのである。
こうしてリッターバイクとしてはもちろん,このルックスからは想像できない198公斤という軽量で,余裕の145 psを誇るYZF1000Rがデビューした。しかも従来のFZRより軽やかなハンドリングを,ヤマハらしく安定感を損なわずに得るという優れたバイクに仕上がったわけだ。しかしヨーロッパのバイク雑誌の評価や反応は,それほどセンセーショナルなバイクというものではなかった。“ルックスと走りのフィリングから,的な位置づけに見られてしまったようですね”。リ,ダ,役の猪崎次郎氏は,ょっと残念そうだった。しかし彼の価値観は揺らぐことはなかった。このとき既に,ユーザーにとってスペックだけではなく,そのバイクの本当の狙いは何か,それが自分のニーズに合うものかどうかをじっくり吟味できる時代になると確信していたのだ。(後編へ続く